国語の学習は、「生きる力」を育むものだと個人的には思っています。
今回は「生きる力」について少しお話しましょう。
実は中学受験の学習は賛否両論ありますが、間違いなく「生きる力」を身に付けることができます。
中学受験で手に入る力
では、「生きる力」とは一体どのようなものでしょうか。
結論から言うとそれは、
①グリッド
②レジリエンス
③一生物の学ぶ力
です。
具体的に説明しましょう。
①グリッド=努力する力 です。
物事をなすのに、必ず努力が必要になります。関係ないですが、昨今、忙しい人が多く、コストパフォーマンスが良いものが世の中に受け入れられている傾向があるせいか、「15分で〇〇できるようになるたった一つの方法」のようなものがとても多いですよね。
しかし、世の中そんな単純で甘くありません。思考を重ね、歯を食いしばって頑張る力というのが身を結ぶ最善の方法であることは今も昔も変わらないのです。そうやって量をこなした人にしか効率、つまり質は身に付きません。
まさしく「量」は「質」を伴う、なのです。
②レジリエンス=立ち上がる力 です。
これはいわば失敗から学んだり、挫折から立ち直りチャレンジし続ける力のことです。
挫折は誰にでもあることですが、失敗を修正して次に生かせる人はやはりそれだけ成功に近づけるものです。
特に、中学受験を志す子どもはこの力が極端に高い傾向にあります。
理由は簡単です。
中学受験特有のテストの多さがこの力を生んでいるのです。
まあ、テストで悪い点を取ったとしてもすぐに次のテストがあるので、「そこで頑張ればいいや」と開き直ることができますよね。これが結果的に強い心を生んでいるという訳です。
③一生物の学ぶ力
成長するためにとても大切で、経験したことを言語化し、個別の案件から一般的な概念に抽象化し、広く汎用できるよう、自分の血肉とする力のことです。一般に言われる帰納法というものがこれです。
これがあってはじめて①と②が活きてきます。
国語力が生きる力につながる
実は、ここに必要な力が「国語力」なのです。
具体的事案を概念に抽象化する思考はまさしく「言語化」です。
例えば、テストで全教科思うような点数が取れなかったときに、言語化が乏しい子は
「勉強が足りなかった」
「ミスが多かった」
で済ませます。
しかしこれだと残念ながら次回も同じ結果になるのは予想できますよね💧
ところが、言語化が上手だと、勉強が足りなかったのは何が原因なのかを考え、勉強時間が少ないことに気づき、じゃあそれを増やすために何をするか、というように建設的に考えることができます。
ミスについても、原因を考えると、すべて同じ原因にたどり着き、それがミスではなく練習不足だったことに気づき、新たにピンポイントでその部分を練習する、と無駄のない学習にたどり着きます。
まさしくこれは言語化する「国語力」なのです。
国語力を身に付けることで、目標に向かってどのように進んでいくかを考え、うまくいかなければその都度修正を加え努力を重ねます。
その結果、やっぱりうまくいってもいかなくてもさらに見直しをして修正をかけていく…こうして成功を収めると、自分の中に確固たる自信や自己肯定感、実績が生まれます。めげない自己が確立されるのです。
なぜなら、「こうしたらうまくいく」という勝利の方程式が自分の中に確立されるからです。
そして、その文脈には必ず「国語力」がはたらいています。
国語の学習は、「生きる力」を育むものなのです。
そして、この力は低学年であればさほど苦労せずに習慣で身に付きます。
しかし実際には、小学校の低学年で力を入れているのは、国語ではなく算数の計算、という方はとても多いですね。
もちろんそれ自体は悪いことでもなんでもないのですが、計算も究極は「言語化」だと思っています。
なぜそのような計算過程をたどるのか
その数字が適正なのか
なぜそのような書き方をするのか
などを考えて計算をすることがとても大切です。
つまり、すべての思考のもとは「国語力」なんです。
低学年のうちに言語化する思考癖を持っているとその後の成長が著しいことは間違いありません。
学年が上がってくると、修正がききにくくなってきます。
そういう意味で低学年から、国語の学習を始めることはとても理にかなっているのです。
国語力がもっとも大切という塾講師の本音
最後に、2025年のダイアモンドオンラインニュースにあった面白いニュースをご紹介します。
知窓学舎の塾長で、教育ジャーナリスト、多摩大学大学院客員教授である矢萩邦彦さんが寄稿された記事です。一部転載いたします。
「塾の授業についていけない、どこが分からないのかも分からない子は、まず、国語力を鍛えましょう。どの教科も根本的に分かっていない子は、国語でつまずいている場合が多いからです。
先生が言っていることが理解できない、教科書に書いてあることが分からない、何を問われているのかも分からない、といった子は、中学受験をする層にも結構います。親が気づいていないだけです。
そういった最低限がきちんとできるようになると、ようやくどの教科も伸びる可能性が出てきます。
つまり、国語のテストで点数を取るための国語ではなく、それより手前の国語力が大切。
それを身につけるには、子どもが主体的に意見を言って、大人がきちんと対話することが必要です。
これは、10人以下の授業ではできても、大人数の授業では難しくなります。」(一部抜粋)というものです。
後回しにされやすい国語という教科は、実はもっとも根源的であったという話です。
算数の多くの単元は、文章によるものです。これは文字通り文章による問題であり、文章の意味をきちんとつかめず、暗記で解法を覚えていては本当に「解ける」とは言わないでしょう。応用問題にも対応はできません。
しかし、文章の意味も解法の理屈も言葉できちんと理解していれば解けるのです。
現に私自身大手進学塾にて指導をしていたときに、こういったことはよく目にしました。小学生のみならず、中学生でも受験学年後半に入り、劇的な成績の伸長を遂げる子がいます。そういった子達の成績をまとめると、さまざまな要素がありますが、国語ができるという共通点があったのです。
さらに私自身、大手進学塾にて中学受験を志す子達を見た経験から、「今、大手塾に通っている生徒の二人に一人は、カリキュラムについていけない現状がある」という著者の意見にまったくもって同じ意見です。
ついていけない、もしくは難しいと感じているほとんどの場合、算数が原因です。
これは愛知県の傾向ではなく、全国的なものです。もちろん、本当に数に対して弱いという性質もあるかもしれません。しかし、その原因に読解力不足が隠れていることも頭のかたすみに入れておいていただきたいのです。
