国語に関する誤解と勉強の仕方【愛知県日進市香久山の国語専門個別指導塾】
国語に関する世間の誤解
世間では、国語に関する誤解がよくあります。
「答えがいくつもある」「筆者の気持ちを答える問題があるが、それは作者にしかわからない」「解くのにセンスが必要」・・・など様々です。
数学は、答えが必ず1つ(とは限らないのですが)、気持ちなどの感情が入り込む余地がないということもあり、よく昔から国語と比較されてきました。
しかし、私が思うに、数学と国語は同じ性質を持つものではないかと考えています。
なぜなら、論理を数字や文字で学ぶのが数学、論理を言葉で学ぶのが国語、だからです。
例えば、数学は確かに答えが1つになります。
反対に国語は一つとは限らず、むしろたくさんあるだろうというのが世間一般のイメージではないでしょうか。私も子どもや保護者の方とお話ししていると、そのようなことを言われることがあります。
しかし、国語にも答えが1つしかありません。もちろん、語尾の違いや助詞、助動詞の使い方などで多少の言い方は違えど、答える内容は1つです。答えがたくさんあると思う時点で、文章を読み切れていないことになると言っても過言ではありません。
また、数学には感情の入り込む余地がないことも確かです。反対に国語では筆者の気持ちを答える問題が出されるがそんなのわからないから書けないじゃないか、と言われることも多々あります。
ここには、2つ間違いがあります。
1つ目は、「筆者の気持ち」ではなく、「作者の気持ち」です。筆者とは、論説文を書く人のことであり、作者は、物語を書く人のことです。
2つ目は、「作者の気持ちはわからないから書けない」ではなく、「文章から読み取れる作者の気持ちを探して書く」のです。ですから、文章の中に探すべき答えが必ずあるのです。
数学は、様々な種類の問題があれど、解き方があり、それを探す教科です。国語も実は様々な種類の文章がありますが、解き方や読み方があり、それを人にわかるように示す教科なのです。
ですから、国語は勉強の仕方がわからないから漢字や文法しかやらないというのは間違いで、正しい読み方、正しい勉強の仕方を知れば、もっともっと勉強の幅が広がり、得点力だって間違いなくつくのです。
今回は、それを少しご紹介しましょう。
国語の勉強の仕方
まず、国語はなんといっても漢字や語彙、知識は欠かせません。ですから、
①知識分野の勉強をする、というのは欠かせない要件となります。
例えば、合計点で同じ点数だったり、同じ偏差値帯に何十人もの受験生が集中するのが入試です。だから1点で合否が変わる。その中で漢字1問が合否の境目になることは入試において当たり前のことです。
また、意味を知らなくても漢字を知っていることで言葉の意味が想像できることもよくあります。
漢字は数学における計算と同様、土台の力として必要不可欠といえるでしょう。意味とセットにして覚えることが大切です。
②文章ジャンルごとに読み方を知る、というのも文章題を解く上で最も大切なことです。
例えば、物語ならば、ほとんどの入試問題の物語では、主人公の気持ちがあることをきっかけでマイナスからプラスになるため、プラスの気持ち、マイナスの気持ち、どちらでもない気持ちを探すことが問題を解くための重要な作業となります。多くの場合、設問はその変化が起こる背景などについて出されるためです。
また、論説文は、「日本と西洋」「今と昔」「機械と自然」のように比較をする文章が多いため、これらが具体的に「何に」ついて比べられているか、筆者はどちらの考えに賛成なのか、そしてその理由などを探す作業が必要です。
③問題パターンごとの解き方を知る
例えば、傍線部問題は指示問題、言い換え問題、理由を答える問題の3パターンに大別されます。それを知っていると、設問を見てからどのような問題が出ているか意識しながら問題文を読むことができます。
過去のブログにも同様の内容を書いていますが、それだけ国語というのはパターンが限られているということなのです。
しかし上記の②と③に関しては、なかなか自分だけで勉強することが難しいのも確かです。だからこそ、やり方の指導を受けることが大切です。一朝一夕で身につくものではないので長い期間指導を受け、学ぶことが必要となります。
そうすることで、文章の読み込みが深くなり、自学をするときのクオリティが飛躍的に上がります。そこまでして初めて、どんな問題にも即座に対応できるようになるのです。
ところで批判ではありませんが、国語ほど学校で習うことと受験で問われることが違う教科はないと私自身強く感じています。
学校では、視野の広さ、価値観の多様性を学ぶ学びます。
物事はこのような考え方もあるんだよ、という学びで、みんなの意見や先生の考えを共有し、認め合い、そこで終わりになります。
ところが受験は、多様性を学ぶどころか答えを探す、思考の限定になります。論理的になぜその答えになるか、それをいかにわかりやすく人に説明するかの追求です。
しかし、私はそれで良いと思っています。なぜなら、数学も理科も論理だからです。そして、人にわかりやすく伝える技術も論理です。的確な思考だって論理です。つまり社会は論理で成り立っています。それを学ぶのが国語なのです。
修英塾では、「論理的思考」を手に入れるべく学習を積み重ねていきます。
そのための手法が我々にはあります。
体験授業を受けてみると、それが痛感できますよ。
